フランシウム87

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闘牛の牛は人を襲わない?ヨーロッパの動物愛護

先日見つけた衝撃的な動画。

メキシコの学生たちが作成した動画だそうで、闘牛用の牛であっても人間が挑発しなければ襲うことがないという事を示したものです。

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牛が人を襲わないことを証明したメキシコの動画

 


Impresionante prueba si no agreden al toro el ni los toca

 

闘牛というと、スペインの闘牛が有名ではないでしょうか。

スペインには各地に、巨大で立派な円形の闘牛場があり、昔も今も、闘牛はスペインで人気の観光物資です。

闘牛というのはマタドール(殺し屋、の意)の華麗な演技が見もので、歴史的にすばらしい"舞台"を見せたマタドールは現在でも英雄のように語り継がれています。

かつて、まだサッカーが今ほど有名でなかった頃、マタドールになって一財産作るというのは、スペインやその他の地の貧しい地方で生まれ育った青年たちにとっては、一攫千金の夢だったのだそうです。現代では、有名なサッカー選手になってお金持ちになる、といった夢のほうがポピュラーであるようです。

 

マタドールが赤いマントをひらひらさせて、そこに闘牛の牛が突っ込むというシーンは多くの人が観たことがあると思います。

そもそも、牛は赤色の認識というものができないので、牛はマントのひらひらに誘き寄せられて突っ込んでいくのだそうです。では、なぜマントが赤いのか。それは牛に対するものではなく、赤色が判別できる人間、つまり観客を興奮させるためにこの色が使われているそうなのです。

 

今回紹介した動画では、マントのひらひらすらしなければ、つまり牛に対して何の刺激をすることもなければ、牛は人間には無関心であるということが表現されています。

もっとも、これには賛否両論もあります。たまたま、この牛が人間に突進することを調教されていなかったのかもしれません。もちろん、これは牛のコンディションによるものも大きいでしょう。牛乳飲んでなくてカルシウム不足のイライラしている牛であれば、人間に当たり散らす可能性もないとは言えません。

 

でも、普通に考えて、牛じゃなくて人間でも目の前で布をひらひらさせておちょくられ続けていたら、どつきたくなる気持ちが分からなくもありません。やっぱり、ストレスをかけることによって、牛は凶暴になるのかな、と考えてしまいます。

 

 

 

カタルーニャでは闘牛が全面禁止に

 

スペイン第2の街のあるカタルーニャ州では、2010年に闘牛興行の全面禁止という政策が可決されました。良く翌年から施行されたのですが、これは2016年にスペインからカタルーニャ自治州に対して憲法違反の政策だとして、違憲と判断されています。

 

さて、なぜスペインのカタルーニャで闘牛が禁止されたのでしょうか。

これには3つの理由があります。

 

まず一つ目は、闘牛が人気のイベントでなくなってしまったから。

現代の人気スポーツと言えば、サッカー。特にスペインにはレアルとバルサという2大サッカーチームがあるため、国民の関心はもっぱらサッカーです。

 

2つ目は、牛を殺すのがかわいそうだということ。人気のなくなった興行で殺される牛なんて、なんだか可哀そうすぎる。しかも、闘牛って一発で仕留められるのではなく、何本もの銛を刺されて、じわじわと死んでいく牛を見て楽しむというものなのです。動物愛護団体からは長年非難の対象になっています。

 

3つ目は、カタルーニャ自治州は独立路線にあるという事。スペインから独立したがっているカタルーニャは、闘牛を全面禁止にすることによって「僕たちは野蛮なスペイン人たちとは違うんだ」というメッセージを暗に訴えかけています。

 

動物愛護の観点というのは、これらの理由のうち最も表に出されたものでした。

というのも、ヨーロッパでは動物愛護がとても進んでいるのです。

 

 

 

ヨーロッパの動物愛護観

 

僕は猫とか犬とか、結構動物が好きなほうだと思いますし、僕の家族も同様です。

日本にたまに帰って、家族と一緒にショッピングモールとか行くと、大体ペットショップの前で立ち止まるんですよね。かわいい子猫や子犬たちがこちらを見てくるので。

もちろん、皆かわいい~って言って近寄って見ているのですが、僕はこれがだんだんとできなくなっているんです。

だって、この動物たち、売れなかったら廃棄処分ですからね。

 

フランスではペットショップがありません。

犬や猫が欲しければ、知り合いなどで飼い主募集中のひとからもらうか、ブリーダーと直接連絡を取ります。

動物の命を粗末にしないということはもちろん、在庫を抱える販売システムが廃れていっている現代の世の中の仕組みを見ると、フランスをはじめとしたヨーロッパのこのシステムのほうが理にかなっていると思います。

それにしても、動物好きの人たちのためにあるペットショップが、じつは多くの動物の命を絶っているというのは皮肉な話です。もちろん、良心的なペットショップというのも存在しているのだとは思いますが。(少なくとも、そう願いますが…)

 また、ドイツや北欧の国々では、飼い主がいなくなったペットたちのケアも手厚く実施されているようです。

 

最近、ベジタリアンとかヴィーガンとか、日本でもよく聞く言葉になってきたようです。

ヨーロッパにいるとこういった菜食主義者の人たちによく出会います。

菜食主義を実施しているひとたちの目的は様々で、健康のためや環境のためといった意見があるのですが、動物愛護が目的の人というのは少なくありません。

 

フォアグラの飼育の光景を見たことがありますか?

YouTubeなり、ネットで探せばごまんとこの手の動画は出てくるのですが、とにかく動物虐待としか言わざるを得ない、衝撃的な映像です。

皆が買っている、100gで100円くらいの鶏肉が、日本の反対側のブラジルでどのように育てられ、どのように処理されているか考えながら食べる人は少ないでしょう。

それを考えはじめると、菜食主義をしたくなっちゃうんでしょうね。

冒頭の闘牛にしても、ショーに使われた牛の肉は、そのあと闘牛場の外で食肉用として売られるので無駄にはならないと言われているのですが、そもそもその肉を食べる必要がなければ、この弁明は使えなくなります。これは日本のクジラ漁についても同じことが言えるのではないでしょうか。

 

とはいえ、闘牛はアートであるという別の意見も頷けます。闘牛を見ていて、普通にかっこいいなーとも思います。

僕は菜食主義者ではなく、基本的に何でも食べます。

フォアグラも大好物です。今はもうない、マドリッドのカオバというレストランのフォアグラのリゾットを食べてから、フォアグラの虜になりました。でも、フォアグラってもともと高価な食材だったからよかったんですよね。庶民でも買える「ちょいリッチの食材」になってしまったから、これだけ大量のアヒルを殺してフォアグラを取り出さなくてはいけなくなってしまったんだと思うのです。

 

こんなことを考えていると、改めて自分の命は多くのものの犠牲の上に成り立っているんだな、という事に気づかされます。

そして、改めて日本語の「いただきます」という言葉の重要さをかみしめることができるのです^^