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フランシウム87

南フランスに住む日本人学生が発信するブログ。

フランスの授業は生徒の発言が多いって本当?フランスの大学の授業

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よく、日本人は日本の教育を「詰め込み式」だなんて言ったりします。

対して、ヨーロッパでは生徒が自由に発言する、先生と生徒のコミュニケーションが重要視された授業環境であるという話を聞いたことはないでしょうか。

先生の書いた黒板をノートに黙々と写す授業よりも、生徒と先生の間、あるいは生徒同士で活発に意見が飛び交う授業のほうが、なんだかタメになる感じがしますね。

 

実際のところ、フランスの大学での授業はどうなのでしょうか。

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mokuji

 

 

 

確かに発言はある。でも…

 

最初に断っておきますが、僕は日本の大学に通ったことがないので、日本の大学の授業風景と比較することができません。フランスのことを伝えるのみです。

 

僕の通っている大学では、大人数が集まる講堂での講義と、少人数に分かれて演習や実験をするクラスと、人数の大きさでみると、大きく2つのタイプに分けることができます。

少人数制のクラス(一クラス当たり20人程度)であれば、教師と生徒の距離はかなり近いので、必然的に発言する機会が多くなります。少人数のクラスでは、主に演習問題や実験などを行うため、わからないことが出てきたら前に進めませんからね。

反対に、大きな講堂での講義では、教師と生徒の間のコンタクトはほとんどありません。教師の話すことを延々、黙々とノートに取り続けます。それもそのはず、講堂での授業となれば、一度に200人ほどが受けるため、いちいちコメントをしている時間はないのです。

 

さて、ここでいう教師と生徒のコンタクトというのは、あくまで「分からないことがあった時に先生に聞く」程度のものです。無難に授業を進める教師の場合、教師と生徒の距離は一向に縮まりません。しかし、中にはちょっと変わったアプローチをしてくる教師もいるのです。

 

 

うごくのはおもしろい

 

教師の動きを見ているといろんなタイプがあって面白いです。

 

教壇で自分のパソコンを広げて、自分のPDFに書いてあることをプロジェクターで写しながら、授業時間のほとんどをパソコンの前から動かずに終わってしまう先生。

 このタイプの先生は最悪です。フランスの大学の授業は90分/コマなのですが、60分が経過したころから生徒の集中力はぷっつりと切れ、のこり30分のみんなの意識はどこか遠くに飛んで行ってしまいます。

 

次に、ほとんど板書はせずに、膨大な量の情報を口頭で言う教師。

みんな一生懸命教師の言葉をノートに取っているので集中はしているのですが、90分という長丁場になるとみんなへとへとになってしまいます。もちろん、生徒のほうからコンタクトをとることはありません。ノートをとることに必死ですからね。

 

よく動く先生。これは、自分で用意した資料をプロジェクターで写しながら、講堂中を自由に動き回りながら話をする先生です。

このタイプの教師の場合、生徒たちは90分の授業をどうにかやってのけることができるのです。そして、そういった教科の場合は、試験の勉強をするときもあまり悲観的になることなく、結果、全体的に良い点数をとることのできる教科になるのです。

 

動く=生徒の授業に対する姿勢が良くなる

 

単純なことなのですが、どの授業も結構このとおりに当てはまるので、おもしろい式を発見したと思っています。日本の大学の授業も同じなのかな?

 

 

 

生徒を刺激するのがうまい先生

 

さらに動く先生の中でも、生徒を入激するのがうまい先生というのがいます。

日本にいた時、確かNHKの番組で見た気がするのですが、とある中学校で生徒の授業中のやる気を引き出す新しいテクニックを開発・実践している教師にスポットライトを当てた番組を見ました。

その方法とは、いったいどんなものなのか。

普通の授業では、先生が授業を説明して、生徒は授業内容でわからないところがあれば、そのわからない箇所について質問するのがセオリーだと思います。引き出す授業というのは、生徒の好奇心や探求力を刺激する授業なのです。いわば、やる気スイッチを押しに行く作業です。

僕は教育者でも何でもないので詳しいことはわかりませんが、要は、生徒自身が授業の内容よりももっと突っ込んだところに疑問を抱く瞬間が、やる気スイッチがオンになった瞬間だというのです。

 

例えば、和音の授業があったとしましょう。

先生は「ド・ミ・ソ」の3つの音からなる音はきれいにまとまる。同様に他にもきれいにまとまる和音があって・・・説明したなら、きっと生徒たちはふんふんと頷いて、先生の言ったことを必死にノートに書き留めると思います。

 

しかし、この時に「ド・ミ・ソ」の音の周波数と音の波の図を一緒に示したらどうなるでしょうか。

おそらく、生徒の中には美しい和音と音の波の形に関係性を発見する人が現れるでしょう。もしかしたら、不協和音と呼ばれる心地よくない響きのする和音は、美しい和音と何が違うかとか、もっといけば音の周波数と調の関係性まで踏み込む人も出てくるかもしれません。

 

今自分が見た・教えられたものが何なのかをその場で考えることは、単に言われたことを「理解する」のとは違うのだそうです。

 

もちろん、実際の教育現場ではこんなに簡単に事が運ぶとは思い難いです。先生方はいろいろな苦労をして、よりよい教育を模索しているはずです。

これは、僕が即興で考えた一つの例です。

 

僕の大学でいうと、免疫学の先生がこの術にたけていると思います。

授業の始まりは、いつも小さめの声でゆっくりとしたペースで始まります。もともと(ルックス的にも)人気のある先生なので、声を落とした先生の姿にみんなは一気に注意を注ぎます。

そして、声も大きく快活になり、いくつかの授業から少し離れた笑いを誘う話をした後、その日の授業は一気に佳境へと入ります。授業の始まりとは打って変わって抑揚に富んだ大きな声で話す先生の口から次々と出てくる暗号のような免疫システムの名前。しかし、生徒たちはノートをとることにあまり力を注いでいません。先生の話を理解しようとしているのです。

 

これは、その場の空気にいないとなかなかわからないことなのですが、明らかに空気が他の授業とは違うのです。理解しようとする姿勢があれば、自然とわからない箇所では質問が入り、さらに授業で教える範囲から突っ込んだ、より「深い」部分の質問が飛び出たりします。

 

そう。生徒たちのやる気スイッチが入った瞬間です。

 

あまりにも授業内容と離れた質問の場合は、先生もさすがに笑って「ここまで話したら君たちの試験範囲を広げなくちゃいけなくなるからやめておくけど(笑)」といって授業の軌道修正に入るのですが、大人数の講堂での授業であるにもかかわらず、免疫学の後は結構みんな満足そうに授業を後にするのです。「後期は免疫学のオプションとろっかなー」とか言いながら。

 

話は変わりますが、演説の天才と言われるアドルフ・ヒトラーは、演説の最初は少し自信なさげな、もじもじとしたジェスチャーと小さな声で始めたと言われています。

こうすることによって、大衆の関心を集めることに成功したのだとか。

免疫学の先生、恐るべし。

 

 

発言が多いわけではない

 

というわけで、僕個人的な視点でいうと、フランスだからと言って特に議論が活発に行われている授業風景であるという印象はありません。

むしろ、いつもあんなにバーやカフェ、時には路上で議論に花を咲かせているフランス人が、珍しくひっそりとしているのがフランスの大学の授業中。

しかし、これが小・中・高校だとどうなんでしょうか。たぶん日本の感じとは違うんでしょうね。

僕の大学が理系だからというのもあるのかもしれません。イメージですが、文系の大学のほうが議論が激しそうです。

 

ちなみに、発言とは少し違うのですが、実験や試験の問題などに関していうと、正確な答えを求めるよりも、自分の考えを述べることにウェイトを置いたものがよくあります。

例えば、先日見返していた言語史の試験問題には「ガリア語がフランス語に与えた影響を、例を交えて説明せよ。」というものがありました。この問題にはいくつもの答えが挙げられると思いますし、なんだったら自分の日常生活から例を引っ張り出してきて新しい考察を書くこともできると思います。

こういったアドリブを、理路整然と、論理的な文章で書き下してゆくのが、フランスの教育の特徴の一つだと考えています。

 

 

おわりに

 

フランスでは、特に授業内での発言が多いということはないけれど、確かに日本ではあまり求められなさそうな力を求められることがあるような気がします。それによって、試験当日に「こんなこと聞いてくるのかよ…」というような不意打ちにあってしまうこともあるんですけどね。

 

多くのことを覚え、それを忠実に再現していく日本式教育と、多くのことを覚え、それを自分なりに構築していくフランス式教育。このアプローチの違いは、仕事においても同じような特徴があるように思います。