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フランシウム87

南フランスに住む日本人学生が発信するブログ。

フランス語、接続法の謎┃動詞espérerの後は直接法?接続法?

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フランス語の何が難しいか。

様々な要素がありますが、その中でも動詞の活用というのはとても厄介な存在です。

一つの動詞に対して、人称と時制によって84通り(直接法、間接法、仮定法)もの動詞の活用形が存在するフランス語。生粋のフランス人であっても、フランス語の動詞の活用形に悩むことがあるそうです。

 

今回お話しするのは、そんなフランス語の接続法の謎。動詞espérerにスポットライトをあてていきたいと思います。

実はこの問題、自分のフランス語文法こぼれ話の中でも特に気にいっているテーマなので、少し複雑ですが最後までお付き合いいただけると嬉しいです^^

 

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mokuji

 

 

直接法?接続法?

 

さて、フランス語の動詞の活用ですが、フランス語を勉強したての人は現在形、複合過去形…と直接法内の動詞の活用形を勉強していくと思います。後で説明しますが、フランス語の文法は直接法だけでは十分ではありません。同じように存在する接続法現在/過去、条件法現在/過去も勉強しなくてはいけないのです。

 

インターネットで動詞の活用表を検索してみてください。indicatif(直接法)のほかにconditionnel(仮定法)とsubjonctif(接続法)の欄があると思います。現在形や過去形といった時制よりも、もっと大きな枠組みのカテゴリーです。

なんでこんなものが必要なのか。

indicatifとsubjonctifに限ってみると、一般的な説明では「確証的な出来事を表す文章ではindicatifを使い、確実性が低い事柄を述べる文ではsubjonctifを使う」とされています。

分かりやすい、indicatifとsubjonctifを使った2つの例文をあげます。

 

Il est incontestable qu'il est malade. 

Il est possible que je prenne le bus.

 

赤字がindicatifで、青字がsubjonctifです。

こうしてみると、queの後の文章で使われる動詞がindicatifの活用形なのか、それともsubjonctifの活用形なのかというのは、queの前の文章で述べられている確証性に左右されていることが分かりますね。

il est incontestable que...だったら「反論の余地なく~」で絶対的です。反対に、il est possible que...は「~が可能かもしれない」と、絶対度がだいぶ弱くなっています。

 

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ちょっと難しいのですが、こんなかんじでsubjonctifは使われています。

もとい、使われていればいいのですが…もうフランス語を勉強している人はおなじみだとは思いますが、フランス語がそんなに規則正しい文法規則を提供してくれるわけがありません。もちろん、subjonctifの用法にはあきれるほど多くの「例外的な」使用方法があるのです。

しっかりとsubjonctifの用法を学ぶ場は学校に譲るとして、ここでは「確証のあることはindicatif、確証のないものはsubjonctif」という風に考えてください。

 

(ちなみにconditionnelについては、今のところ独立した態として存在していますが、フランス語言語学者の中でもconditionnelはindicatifに含まれるといった意見もあり曖昧なのが現状です。他のラテン語派生の言語では、conditionnelは独立した地位を持たず、indicatifに含まれている場合があります。)

 

 

 

動詞espérer

 

フランス語の動詞espérerというのは、割と早い段階で覚える単語の一つではないでしょうか。意味は「~を期待する、~を望む」です。

名詞形はespoir「希望」。僕はこの単語ってとてもフランス語っぽい響きがして好きです^^

 

余談ですが、この動詞は現在形で活用するときにちょっとした罠があります。

 

j'espère

tu espère

il/elle espère 

nous espérons

vous espérez

ils/elles espèrent

 

動詞の原型で、アクセントはéですが、1人称複数・2人称複数を除くとアクセントの向きが逆になり、èになります。

また、紫字で示したリエゾンにも気をつけたいところです。

 

さて、この動詞を使って文章を作ったときに、少し奇妙なことになると思ったことはありませんか?

 

J'espère qu'il viendra.

 

動詞espérer+queの後はindicatifが来るのがフランス語文法の通例です。ここではindicatifの中の未来形が使われています。

でもこれ、なんか違和感を感じませんか?

 

そもそも、「~を期待する」って、確証のない、当たるも八卦当たらぬも八卦のような不確かさがたっぷりと存在していると思うのです。

彼が来るのを期待している。面と向かって話をしている君であればいざ知らず、彼という、ここにいない3人称の人物が、果たして来るかどうかというのは確証がないことでもあるのです。

 

他の動詞、例えばsouhaiter「~を望む」などを代用したらどうか。

確かに、souhaiterを使えば、queの後に続く文章はsubjonctifを使うという規則があります。(そう、souhaiterはsubjonctifを伴うのです!)

 

しかし、動詞espérerは、もともと「待つ」という意味があるのです。フランス語はラテン語から派生した言語の一つですが、その大元のラテン語の形を現代に多くとどめている言語はスペイン語です。スペイン語では「待つ」という動詞をesperarというのですが、フランス語のespérerもスペイン語のesperarも、どちらもラテン語のsperareに由来しています。

そして、このラテン語のsperareの意味は、「待つ、希望を持つ」です。

 

となると、subjonctifを伴うフランス語の動詞souhaiter「~を望む」では、ほんの少しニュアンスに違いが出てくるのですね。動詞espérerは、文字通り「希望を持つ→~を期待する」なのですから。

 

 

 

過去にはespérerと接続法は一緒に使われていた?

 

実は、フランス語の長い歴史の中で見てみると、動詞espérerはsubjonctifと一緒に使われている例もみられるのです。

また、それは現代であっても同じことで、学校の授業や文法書では「動詞espérerはindicatifとつかうこと」と説明されているにもかかわらず、実際は書籍内で約3%の動詞espérerの用例はsubjonctifを伴っているのです。(« En espérant qu’elle vienne » – l’emploi modal après espérer, Christine Meklenborg Salvesen, Université d’Oslo)

例えば、

 

J'étais devant la station d'essence de la porte d'Orléans à guetter les 4L en espérant qu'il vienne. Il a fini par apparaître.                           (2001, L’Agrume, p 7)

 

私は4Lのガソリンを見つめながら彼が来ることを期待していたのです。のちに彼は来たのだということが書かれていますが、主人公ががオルレアンの入り口にあるガソリンスタンドで待っている時点では彼が来るかどうかわからない、期待をしているが確証のない心情描写が、このsubjonctifで表されているのです。

 

どうですか?espérerと間接法の関係が面白くなってきませんか?^^

 

さらに過去にさかのぼってみると、18世紀後半の書物では、20世紀の書物に比べて倍のespérer+subjonctifの用例が見つかっています。

同様に16世紀中葉までさかのぼれば、近現代と比較して4倍近いespérer+subjonctifの用例があるのです!

 

ちなみに、16世紀中葉の文章となるとこんな形で、もはやindicatifとかsubjonctifとかいう以前に単語の形が大きく変わっています。

 

Qui eust espéré qu’il deust sortir Roy de la maison d’un bouvier?        (1560, Chrestienne I, 105)

 

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なぜ、過去に使われていた間接法が現在では使われなくなったのか?

 

今まで書いてきたことは長い前置きで、ここからが今回僕の書きたいことです。

 

動詞espérerは不確かな望みに対して使われる場合は、subjonctifが使われることがある。

そして、それは現代よりも中世のほうがsubjonctifが使われる頻度が高かったということを今まで見てきました。

 

では、なぜ中世フランスではsubjonctifを多く使う傾向にあったのでしょうか。

僕がC1クラスにいた時の言語史の先生はこう説明しています。

 

そもそも、現代の私たちと中世の人々の捉えるespoir「望み」は同じだったのかと考えるところから始まります。

中世の人々は、現代人と比べて寿命というのが短かったのです。加えて、社会的な格差は今よりもずっと大きく、人々の「望み」は、はたして自分の一生が終わる前に果たせるものなのかどうか、その確証には大きな疑念があったのです。

対して、現代の私たちはどうでしょうか。あれが欲しいと思えば、お金を貯めれば買えることは多いですし、寿命が長くなったので私たちの果たせる「望み」の数は多くなりました。私たちの「望み」は、過去の人々の「望み」よりも、ずっと確証の高いものが増えているのです。

 

動詞espérerは不確かな望みに対して使われる場合は、subjonctifが使われることがある、と書きました。

つまり、動詞espérerは、時代の変化につれて変わる人間の価値観の変化を、伴う動詞の活用形の変化として映し出している動詞の一つだといえるのです。

 

加えて、先生はこんなことを言っていました。

もし今後、世界がまた戦争のようなものに飲み込まれたときは、人々は絶望を多く抱いて、動詞espérerにsubjonctifの活用を使う人が増えるかもしれないわね…と。

 

 

 

複雑なフランス語

 

フランス語は難しい、とはよく言われることですが、こういった時代背景と現代のフランス語照らし合わせてみると、フランス語が複雑で難解であることもうなづけます。

これは、フランス語に限ったことではなく、イタリア語やスペイン語もそうですし、私の母国語である日本語も、少数民族の話す言語も同じでしょう。

 

今回ここで説明した動詞のストーリーは、個人的にはとても面白いものだと思っています。

しかし、この話をフランス人にすると「馬鹿げてる!」と一蹴されるのが落ちでしょう。まぁそれもそのはず。ちょっと突飛なアイデアでもありますからね。

日本語で例えるとすると…「夢にも思わない」という言葉は、睡眠時間が大幅に減った現代人において「僅かばかりの夢にも思わない」という、ほんとうにあり得ない可能性を示している言葉なんだ。なんてフランス人に言われる感じでしょうか(笑)今思いついた例なので、全くのでたらめですが。

 

 

 

おわりに

 

フランス語の動詞の使い方ひとつ観察するだけで、人間の生への価値観が垣間見れるなんて、やっぱり語学って面白いものだと思います。

これからも、おもしろそうなフランス語文法のこぼれ話を思いだしたら記事にしていく予定でいます^^