不便なフランスの労働環境から、便利な日本の社会について考える
フランスでの生活って、不便です。
特に、日本のように何もかもが便利な社会に生まれ育った僕には、フランスはとっても不便な国です。
でも、「不便だからイヤだ!」という考えにはならないんですよね。これは多くのフランス在住の日本人にも同意してもらえるんじゃないかと思いますが、むしろ「不便だから良い」のです。
mokuji
こんな質問をいただきました
季節柄reveillonという単語が沢山出てきますが、噂通り外食しないで家で食事をして過ごすのが一般的ですか?
昨年末に書いた【YouTube】今年のbantanお気に入り11選【2016】にいただいた質問です。
réveillonとは、夜の遅い時間にとる食事のことで、特にクリスマスや大みそかの日に食べるごちそうの事を指します。
単語の前半部分を見ると、同士réveillerと同じですね。réveilとは「目覚め」の意味があるので、さしずめ夜通しのお祭り騒ぎを表した単語と言えるでしょう。
さて、そんなフランスのréveillonですが、質問にも書いてある通り、この日の食事は家族や友人と一緒に家で食事をするのが一般的です。なぜだと思いますか?僕は大きく2つの理由があると思います。
おうち時間を大切にする
フランスは、今でこそlaïcité(非宗教性)を国のモットーとしているほど、宗教文化を公的な場に持ち出すことは厳しく制限されているのですが、なんといっても過去においてはカトリックの国です。
クリスマスは、言うまでもなくキリスト教の祭事ですよね。またキリスト教は家族を大事にすることが重要視されています。となれば、キリスト教のイベントであるクリスマスを、家庭で家族と一緒に過ごすというのは至極当たり前の事。
また、フランスに多くいるイスラム教徒も、家族をとても大切にする人たちです。年末年始というバカンス期間では、彼らも家族と一緒に家で過ごすのが一般的となっています。
対して、日本はどうでしょうか。
日本は、そもそもクリスマスというものは販売促進効果のあるイベントということで、一般の人の間に広まりました。特にキリスト教を信奉していなくても、なんか特別なことをしたくなりますよね。
なので、別に家族と一緒にいようという気持ちは、あまり起きないかと思います。むしろ、世間の目は厳しく、いい歳してクリスマスを実家で親兄弟と祝っていたりすると、白い目で見られてしまいそうです…
しかし、クリスマスが全く日本人のアイデンティティと関係がないかというと、そうでもないと思うんですね。やっぱり、一年の終わりという節目に近いイベントでもあるので、一年の労をねぎらう・感謝を伝えるイベントとして、プレゼントを贈りあったりするのは、日本人気質にも簡単に受け入れられたのだと思います。
みんなが働かない日
もう一つの理由として、クリスマスほど「家族と過ごす日」という認識が強い日は、皆働かなくなります。
フランス、というかヨーロッパでは、たまに誰も働かないような日があるのです。
一番顕著なものは5月1日のメーデーで、この日は公共の交通機関(バスやトラム)さえ止まります。運転手、ならびに関係の人も仕事をしない日だからです。
クリスマスは、飲食業にとっては掻き入れ時のアツい日なのですが、それでも夜は閉める店が大半です。モンペリエでかろうじて開いていたのは、いくつかのバー(それも早い時間に閉める)や、宅配ピザ屋といった店でしょうか。
昔見た、ドイツの雇用を扱った日本作成のドキュメンタリー番組で、こんな言葉がありました。
「ドイツ人は休みのために仕事をする。日本人は仕事のために休む。」
僕のいるフランスで、家族との時間を犠牲にしてまで仕事をしたがる奇特な人は少ないのでしょう。大企業のCEOがクリスマスは家族と過ごしたいのと同じで、町のレストランのシェフもクリスマスは家族と過ごしたいのです。そして、実際にそうするのです。
クリスマスにレストランが閉まっているなんて不便ですよね。でも、その不便さが、日本人の僕にはなんだか嬉しくて、羨ましいのです。
年末年始は家族と過ごす?
家族と一緒に過ごすクリスマスに対して、フランスではお正月を家族と過ごす意識はあまり高くないようです。
もちろん、お正月は家族と過ごすという人も少なくないとは思いますが、ここは日本人のほうが「家族意識」が強く出ているんじゃないかな、と思います。
日本だと、年が明けたら親戚の家に行ったりしますよね。子供にとっては一年の"会"計を握る、重要な親戚参りです。でも、お正月があるから普段滅多に会わないような親戚の人とも会えて、自分の成長を喜んでもらったりするのです。
対してフランスでは、お正月は友達や恋人と一緒に過ごすといった意識が強いようです。クラブのポスターも、クリスマスイベントではなく大みそかイベントがたくさん宣伝されていました。
また、年末のバカンスも「クリスマス休暇」と言います。あくまでクリスマスのほうがメインなのです。
日本ではお正月に家族ごとを持ってきて重きを置いているため、多くの人は3箇日を休むと思います。しかし、フランスではお正月は、ある意味年末年始の2番目のイベント格なので、年始は意外と早くスタートします。その証拠に、今年のフランスの学校は1月3日からはじまりました(泣)
働かない日は働かない
旧約聖書によると、紙は6日働いて7日目にその手を休めたため、7日に1日は休みの日があるのだそうです
日本も、もちろん7日に一回は日曜日がやってきますし、理論上は毎週必ず休む日はあります。理論上という理由は、察してください。
フランスと大きく違う点は、日本は働いている人もいれば働いていない人もいる、毎日一定数の人が交代で社会で働いているという点です。
たとえば、日曜は休みの日だといっても、コンビニはもちろん、多くの店は営業していますよね。
フランスは違います。日曜になると働く人がガクッと少なくなります。
例えば、スーパー。スーパーは基本的に日曜は閉まるか、午前営業です。
これがフランスに着いたばかりの時は結構不便でした。だって、日曜日に急に誰かにビーチに行こうと誘われたとき、もうこのタイミングじゃ何も買えない!という事になってしまうのです。
その点、日本だったら便利ですよね。急に誰かに誘われても、コンビニでお菓子、飲み物、花火だって買えちゃいます。
なぜフランス人がここまで働かないかというと、それは法律によって日曜は働かないようになっているからです。具体的には、観光や飲食業などの一部の職業以外は日曜の労働は禁止されていたり、仕事をした場合は雇用者は平日よりも高い賃金を支払わなくてはいけなかったりして、日曜労働にブレーキをかけているのです。
あれ?パリのシャンゼリゼ通りの高級ブティックは、どこも日曜も開いていますよね。
あの中には、頼めば入れてくれる小さなギャラリーが上の階にあったりして、表向きは「美術館」、つまり観光業として営業したりしているんですよ^^
(現在は法律が変わって、シャンゼリゼのブティックは特別な理由がなくても、地区全域が観光地とういうことで店舗の営業が認められているようです。)
働かない日も働く
でも、よく考えてみてください。僕たちが「いつでも物が買えて便利だー^^」と思う生活の裏には、その欲求を支えてくれている誰かが、必ず存在するのです。
僕は、フランスに来る前の3ヶ月間、特に何もすることがなかったので、ちょっと社会の深いところを見ようと、とある派遣会社に申し込みました。
ちょっと上から目線で書いてしまっていることは自分でも承知ですが、好奇心から、当時業界では有名だった、いわゆる日雇い派遣をあっせんしている会社に登録したんですね。
夏の暑い日に僕が配属されたのは、コンビニに飲料を仕分けする大きな倉庫でした。地域全域のコンビニから飲料の注文が届いていて、その注文に沿っておおきな鉄のワゴンを引っ張り、何キロもある飲料の詰まった段ボールを集荷して倉庫内を一日中回る。
一日中汗だくです。倉庫内に冷房はもちろん扇風機だってあるはずもなく、頭にはヘルメット、手には軍手、靴は耐衝撃性のある厚いブーツです。
僕はそこで、いろんな人と話をしてみました。でも、なんだかあまり会話がスムーズに流れないんですよね。当時使われていた言葉を借りると「コミュ障」の方が多かったんだと思います。
当然、日常会話もままならなければ、業務上の「ほうれんそう」なんて出来るわけがありません。そういった方たちは、もう一日に何度も社員さんから罵声を浴びせかけられているのです。
僕は、その時から日本のコンビニでキンキンに冷えてきれいに並んでいる飲料を見ると、とても悲しい気持ちになるのです。この飲み物を絶やさずお客さんの前に並べるために、今日もまたどこかで誰かが怒鳴られているのかと思うと、悲しくなってしまうのです。
僕の見た世界がちょっと特殊だったのかもしれません、むしろ、そうであってほしいと望むくらいなのですが、あれが日本の当たり前の光景だったのなら、僕はフランスくらいの不便さがちょうどいいと思うんですよね。
日曜日にスーパーが開いていないと、僕は不便だと思いますが、スーパーで働いている人はお休みになるのです。店が営業しなければ倉庫で働く必要もありません。この不便性の解決法は簡単。僕が前もって買い物をすればいいだけ。
突然の予定が入っても、僕が住んでいるのはフランス。みんな同じ状況なので、事情は分かってもらえます。手ぶらでビーチに行っても、だれからも文句を言われることはありません。ビーチに行く目的は、ビーチと友達ですからね。
日本の便利性は、それはそれで素晴らしいと思うのですが、ちょっと行きすぎな感じもします。
青い鳥は自分の家にいる
いつも通り話が大きくなってしまいました。
以前、僕はメーテルリンクの童話「青い鳥」について記事を書きました。
「青い鳥」の中のおばあさんの言葉から、死とは何か、について発見したことをまとめたものです。
すこしネタバレになってしまいますが…
青い鳥のラストは、実は、追いかけていた幸せの青い鳥は、自分たちの家にあったという事で終わります。
僕は、スペインとフランスの生活を通して(というより、恐らく母国以外の文化を通じて)、なんとなく、以前より青い鳥の存在が分かるようになったと思います。
あなたにとって、幸せとは何でしょうか。その答えは、実は自分自身の中にあるように思います。
そして、それを探すツールは、なんといってもフランス語などの外国語なんですね。
ここに、世界がAIに乗っ取られる日が近いと言っても、人間がバベルの塔以降広まり続けた「言語」を学ぶ意義があるのだと思います。
さぁ!今日も元気にフランス語を勉強しましょう^^!