外国人と折り紙で遊んでみたら…
海外に住んでいて、折り紙をする機会が多くなりました。
折り紙って、適当な紙を使って作ることができるので、お手軽にできる日本の文化の紹介として便利なのです。
メジャーな折り紙と言えば、やはり鶴でしょう。友達と一緒にいて手持無沙汰なときに、ささっとそこら辺の紙の切れ端で鶴を折っていると、まるで子供のように目を輝かせてその作業を見つめているフランス人というのは、なんともかわいらしいものです。
そして、次にだいたいこう言ってきます。
「ねぇ、僕にも作り方教えて!キラキラ」
フランス人とのorigamiの時間のはじまりはじまり~^^
1年生の化学の講義で、何を間違えたか一番前に座ってしまった時。眠かったー
mokuji
- フランスでも有名なorigami
- フランス人と折り紙で遊んでみよう!
- 当たり前にできるだろう、と思っていることは、実は当たり前じゃないのかも。
- 日本人は折り紙がお好き
- 海外に行ったら折り紙で現地の人と遊んでみよう!
フランスでも有名なorigami
フランスでは折り紙(origami)という言葉の認知度はかなり高いようで、スペインにいた時よりも格段に多くの人がこの単語を知っています。
なんでも、子供のころの工作の一環としてやったことがあるとか、図書館で折り紙の本を借りたことあるよ、という人が多いのです。日本語がこうやって知られているというのは、なんだか嬉しいものです。
僕はフランスに着いた最初の年に、CP(日本の小学1年生)の授業で、一度だけですが日本の文化を紹介する授業をさせてもらったことがあります。その時に少しだけ折り紙の紹介もしたのですが、日本のアニメのキャラクターや、新幹線などの乗り物とならんで、フランスの子供たちからかなり好意的な反応があったのを覚えています。
フランス人と折り紙で遊んでみよう!
さて、フランス人の前で折り紙を作っていて、「僕も作ってみたい」と言われたので、鶴を始めから一緒に折ってみることにしました。
まず最初に正方形の紙を用意して、三角形になるように角と角を合わせて半分に折って…ってここでトラブル発生。
彼ら、紙を正確に半分に折ることができません。
最初は「丁寧に折っていかないときれいな出来上がりにならないんだよー」なんて言ってやり直してもらっていたのですが、まぁ何度やってもきれいな三角形がなかなか折れない。角と角を合わせるんだっちゅーに!!!と、見ているこちらもだんだんイライラしてくるのです。
最終的にステップ1もままならないまま、強引に先に進んだため、やはり出来上がりの鶴は、ちょっと鳥と呼ぶのが申し訳なくなるような物体に…。
これが、一人だけの例とかじゃないんですね。結構多くの人が紙を正確に折ることができないのです。(もちろん、稀にきれいにやってのける人もいますが…)
ちょっとしたカルチャーショック。
当たり前にできるだろう、と思っていることは、実は当たり前じゃないのかも。
紙を(正確に)半分に折る、ということは誰でも当たり前にできることだと思いませんか?僕はそう思っていました。
でも、実際はそんなことないんですね。世界には紙をきれいに折ることができない人は多く、もしかしたらそっちのほうが大多数なんじゃないかっていう感じです。
半分に折ることができないなんて大げさな、なんて思うかもしれません。では、きれいに3つ折りではどうでしょう。半分に折るより難易度が上がるのですが、3つ折りレベルになると「そんなの無理だよ」という人が出てきます(実話です)。
僕たちは18時に待ち合わせといえば、待ち合わせの時間は18時であると認識します。しかし、何処とは言いませんが、とあるアメリカの下の大陸の方々は18時の待ち合わせは18時25分頃と認識します。本当に。ふざけてるんじゃなくて、彼らの脳の中のスタンダードはこうなのです。
一方、日本でも15分前行動が基本と考えている人にとっては、15分前に待ち合わせ場所に到着しているのが当たり前だと思うのですが、それが当り前じゃない人は当然存在しますよね。
だから、紙が半分に折れないというのは、そんなに特殊なことでもないのかな、とも思うのです。今まで紙を正確に折る習慣や必要性のない生活をしていたら、そこまで几帳面に紙を折らなくてもいいわけですからね。どうやったら全ての辺と角を合わせるように折るかとか、そのためにはどのような指の動かし方をすればいいのか、そんなノウハウがそもそも彼らにはないのかもしれません。
となると、それを逆に考えてみれば、じつは複数の辺と角をきちんと合わせながら紙を折る技術というのは、もはや特技と言っていいのかもしれません。
「あなたの特技は何ですか?」
「はい、紙の辺と角を合わせながら正確に折ることです。」
みたいな。
もうちょっと考えを膨らませてみると、もしこの世のどこかにマイクロレベルで紙をぴったりと折り合わせることが一般的に普及している民族がいるとすると、彼らにとっては折り鶴程度の折り紙を作る日本もまた、正確に紙を折ることができない国と判断されてしまうのでしょう。
たかが紙を半分に折るという事なのですが、こんなところにも海外と日本でちょっとした違いがあるんだなぁなんて考えてしまいました。
日本人は折り紙がお好き
日本人って鶴をいろんな場面でおりますよね。
千羽鶴を作るとき、子供の相手をするとき、正方形の紙を見つけた時、手持無沙汰なとき…。一生のうちに結構な数の鶴を手掛けていると思います。
僕は、よくホテルでチップと一緒に折り鶴を置くことがあります。前の日に友達と話しながら何となく鶴折って、翌朝チェックアウトするときにサイドテーブルにチップと一緒においておくのです。
この後、部屋の掃除をしに来たホテルの人が、
「何かしら、かわいいorigamiが置いてある。」
「ここに泊まってた人、日本人だったらしいわよ。日本の文化って面白いわね~」
「そうね、ふふふ^^」
的な展開になってくれていたら嬉しいな、なんて思いながら鶴を置いて部屋を後にします。
折り鶴と言えば、先日友達からこんなメッセージが写真とともに届きました。
「ねぇ、日本の通販サイトで買い物して荷物が届いたんだけど、中にこんなものが入っていたんだけど…いったい何?」
なんと!お届け物の中に折り鶴!
いやーこれね。わかるかな―わからないかもなーこの折り鶴を忍ばせる心境。
昔、NHK教育のおかあさんといっしょで、「ぎんちゃんのラブレター」という歌が放送されていました。
歌詞はこんな感じです。
「ぎんのじょうくんから ユリちゃんにおてがみ
でも ぎんちゃんは じがかけません
だから はるには ふうとうに
さくらのはなを いれました
ぎんのじょうくんから ユリちゃんにおてがみ
でも ぎんちゃんは じがかけません
だから なつには ふうとうに
ひろったかいを いれました」
この歌の中で出てくる「さくらのはな」と「ひろったかい」が、この小包の中の折り鶴なんじゃないかなぁと思います。
童謡でこういう表現が使われているという事は、言い換えればこの「伝えきれない、伝わらない思い」を「ちょいのせに託す」という感覚は、僕たちにとって子供のうちから備わっている感覚と言えるかもしれません。つまり、僕たちのスタンダードな感覚という事です。
でも、この僕たちにとってスタンダードな考え方が、ちがう文化背景で生まれ育った人たちにはスタンダードではないのかもしれませんね。
となると、僕がホテルに残してきた折り鶴たちも、果たして僕が思い望んだような展開をしてくれているか、甚だ疑問なところです。
「なんかサイドテーブルに鳥?みたいの置いてあるんだけど」
「えーなにそれ。きもちわるー呪いかもよ。早く捨てちゃいなよー。っていうかチップ少なっ!!!」
(´・ω・`)
海外に行ったら折り紙で現地の人と遊んでみよう!
というわけで、紙を折るという一つの単調な作業にも日本と海外で違いがあるんだよ、という話でした。
その「紙を折る」という作業で、ここまでいろんなものを作り出し、しかもそれを子供を中心にして遊ばれている折り紙の文化というのは、なかなか日本的なものなのかもしれません。
あ、ちなみにフランスでウケが良いのは「蛙」ですよ。理由は「美味しいから」。
ちょっと難易度は高いのですが、覚えておいて損はないと思います^^