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フランシウム87

南フランスに住む日本人学生が発信するブログ。

未来の中にある過去形

フランス語について

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「10年後、君は昨日したことを後悔することになるだろう。」

映画のワンシーンにありそうなセリフです。

一見すると、この文は未来の中で過去を述べているように見えます。しかし、これは「10年後」という設定なので、「後悔」するのは単純に未来の行動です。また、「昨日したこと」も、話し手のいる現在からみれば、単なる「昨日の出来事」になるので、特に複雑な時制の文ではないんですね。

 

今回、僕が話す「未来の中にある過去形」というのは、こんな難しい時制の話ではありません。でも、僕にとっては考えれば考えるほど不思議に感じるものなのです。しかも、これはフランス語に限ったものではなく、日本語でも同じことが言えるのです。

 

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mokuji

 

きっかけは、一本の映画から

 

数年前、日本とスペインを行き来していた時期があったのですが、暇な機内の時間をつぶすには映画くらいしかアミューズメントがないのです。機内でビールを片手に、空港の待合ロビーで買い込んだスナック菓子をポリポリ食べながら、ヨーロッパー日本間の、約半日分の時間を映画に費やす。いつかエコノミー症候群でぽっくり行ってしまうんじゃないかと言うドキドキの背徳感の中で観る映画は、まぁ悪くない暇つぶしです。

 

そして、僕の好きな映画と言えば、手に汗握るアクションや心温まるヒューマンラブストーリーも良いけど、やっぱり高度10000mで観る映画と言えばホラーでしょう。この時も、アメリカ版「仄暗い水の底から」を、ブランケットをかぶって椅子の上で膝を抱えて観ていました。

 

 

 

 

女の子の一言にはっとする

 

場面は、主人公のお母さんと娘が引っ越し先に向かう途中、ロープウェイのようなもので丘の上に昇るところだったと思います。母娘が街を見下ろすロープウェイの車内に乗っています。ロープウェイは丘を目指してどんどん昇って行き、もうあと少しで丘の頂上にある停車場所に着こうとしているとき。

言語はスペイン語で観ていたんですが、そのとき女の子が"Hemos llegado!"と言ったんですね。

これ、フランス語では"Nous sommes arrivées!"日本語だったら「着いた!」

 

 

 

未来の中にある過去形

 

どうでしょう。ちょっと不思議な感覚がしませんか?

女の子はまだ丘の上に着いていないにも関わらず、「着いた!」という過去形を使っていたんですね。これが「もう着くね!」という現在形とかだったら、時制について何の疑問もわかなかったでしょう。

 

余談ですが、日本語に未来形と言うものはありません。まぁ世界共通語の英語にも未来形として独自に活用する活用形がないので、そういった点で考えれば英語も日本語も同じ、未来形のない言語になります。

では、私たちはどうやって未来の事柄を述べているのでしょうか。私たち日本人は、現在形を使って未来の事柄について話しているのです。例えば、「明日、雨が降る」というのは、「明日」という言葉があるから未来の事柄であるとわかるだけで、「明日」という時を制限する言葉がなければ、「雨が降る」のは今日であると捉えることもできますよね。

 

実は、未来形と言う考えは言語の歴史の中でも比較的新しいものなので、まぁなくてもどうにかなっちゃうものなのです。その証拠に、未来形の存在するフランス語であっても、起きる確率がほぼ100%のことであれば、明日のことでも現在形でいうことができます。起きる確証が薄まったときに、未来形が活躍するのです。(ついでに条件や婉曲と言う余計な奴らまで幅を利かせてきますが、それはまた、別の話。)

 

話が脱線しましたが、ロープウェイに乗っていた女の子が、現在形でも未来形でも、とにかく過去形でなければ、僕にとってはそんなに違和感はなかったのです。が、実際の会話の中では、この女の子の文法が使われるんですね。

 

 

 

頭の中の未来と過去

 

おそらく、僕たちが「着いた」と言うときは、もう頭の中のイメージは先行して目的地についているのだと思います。海に行きたい!友達と車を走らせて、ビーチに近い高速の料金所を過ぎたときに、僕たちは自然と「(海に)着いたー!」と言ってしまうと思います。まだ海にはついていないんですけどね。

 

映画の中の女の子も、彼女の頭の中のイメージは、すでに丘の上に着いてしまったため、実際に丘に着くのはこれからの事(未来の中)であるのに、口から出てきたのは過去形の文章だったのでしょう。

 

逆に、情報を正確に伝えなければいけないという意識が働いている場合はどうでしょうか。例えば、人類が初めて木星に到達する日が来るとしましょう。NASAはスペースシャトルの運行状況を休みなく世界に発信するはずです。この時、スペースシャトルが木星周回軌道上に乗ったくらいでは彼らは「我々は木星に着いた。」と過去形を使った表現をすることはないでしょう。だって、まだちゃんと到着できるかわからないですからね。ミッションが成功するか成功しないかわからない、五分五分の状況であれば、イメージはなかなか先行できないのです。ましてや、「ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ」なんて、確証が薄すぎてこの時には言えないはずです(笑)

 


さよなら人類 たま

 

 

当たり前の話

 

普段、日常会話で話している分には全く疑問に思うことなんてないんでしょうが、文法とか時制とかを気にしていると、ついついこういったよくわからない点に疑問を持ってしまったりします。

今回のこの疑問とそれに対する説明は、完全に僕個人が考えた想像です。文法上、誤った解釈があるかもしれないので、話半分に読んでおいてください^^