ザハ・ハディド氏死去┃彼女はモンペリエにも繋がりがあるんです
31日、建築家のザハ・ハディドさんが亡くなったというニュースが届きました。
建築家として、めちゃめちゃすごいザハ
最初に断っておきますが、僕は彼女の(実現した)建築はあまり好きではありません。
ザハ・ハディド氏。
イラク出身の女性建築家で、史上最年少で建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞しています。
日本では、新国立劇場の第1コンペティションで彼女の案が選ばれたことで、一躍有名になっていましたよね。
でも、彼女の作品にはとてつもないパワーがあります。
ガウディの建築がが世紀末芸術と呼ばれて後世に残ったことを考えると、彼女の建築が僕たちが生きたこの"時代"を、後の世代に残していくんだろうなぁ…なんて考えちゃったりします。
ザハの建築は、実はモンペリエにもあるんです。
僕の住んでいる町・南仏のモンペリエにザハの建築が一つあるんです。
それがこちら。
Pierresvivesという、一面コンクリートとガラスで覆われた複合施設です。
スターウォーズ感を漂わせていると思いませんか?
僕はまだこの建造物の内部に入ったことがないんです。
写真で見る限り、外部の印象がそのまま内部にも反映されていますね。
ガラス面から見える、複数方向の流線形が、一つの建造物なのに、あたかも複数のパーツから構成されているかのような印象を与えています。
驚いたのは、別のアングルから見ると全く異なった印象になるんです。
横から見るといろいろなパーツに分かれた「複合体」のように見えますが、後ろから見るとシンプルな一つの「箱」のように見えますよね。
トランスフォーマーの変身前、変身後が角度によって一度に楽しめる感じです(笑)
一応建築には興味があるので、以前からぜひ一度は行ってみたいと思っていたら、もうモンペリエに住み始めて2年半が経ってしまいました。
なぜ行かなかったのか?
理由は簡単。
場所が遠いんです。
町はずれにぽつん。と建ってるんですよ。
わざわざそこまでトラム使っていくのもねぇ…何かのついでに立ち寄れれば…と思っていたらこんなに時間がたってしまったんです。
はっきり言って、市民からの関心も低いです。
いや、悪い意味では高いです。
だって、建築費200億くらいしてますから。
新国立競技場の時は、結局いくらの見積もりになったんですたっけ?
ザハが「アンビルト(実現しない建築、の意)の女王」の異名を持っていたのも頷けます。
でも、この建築物を目当てに人がモンペリエまでわざわざ来ているのも事実です。
そこまで、人を引き付ける作品なんですね。
建物の名前、Pierresvivesの由来は?
この言葉はルネッサンス期の人文学者であり医師でもあったフランソワ・ラブレーによって作られました。
「ガルガンチュアとパンタグリュエル」という本を書いたことで、歴史の授業でたびたび出てきます。
彼は、モンペリエ大学の医学部に在籍していたことがあるので、モンペリエにゆかりのある人物なんです。
そんな彼がこんな言葉を残しているんですね。
”Je ne bâtis que pierresvives, ce sont hommes.”
"pierresvives"は造語ですね。"pierres"と"vives"に分けることができます。
意味は「命ある石」といったところでしょうか。
つまり、「私は"命ある石"しか築くことをしない、すなわち人間である。」
ということは、この建築は「人間」を意図して作られた、ということになるんでしょうか?
いつも通り、話が脱線しまくりですが…
僕が伝えたかったことは、彼女は人間という生き物の中で、稀な歴史の証人の一人だったんだろうなぁ…と、亡くなってから気づかされたことです。
今度、ゆっくりと彼女の作品を鑑賞しに行ってみようと思います。