フランシウム87

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シリーズ・カタルーニャ┃②カタラン語

シリーズ・カタルーニャ。前回(シリーズ・カタルーニャ┃①カタルーニャとは - フランシウム87)に引き続き、スペインはバルセロナを含むカタルーニャ地方について書いていきたいと思います。

フランスにはあまり関係のないことですが…(笑)

第2回は、カタルーニャの人々のアイデンティティを語るうえで重要な、カタルーニャ独自の言語、カタラン語について触れていきます。

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カタルーニャの画家、ミロの作品。僕にとっては謎画です。

 

 

 

カタラン語という呼称について

 

カタルーニャが名詞で、カタランは「カタルーニャの」という意味になるので、本来であればカタルーニャ語というべきところだと思うのですが、日本では通例でカタラン語と呼ばれることが多いので、当ブログでもカタラン語と表記します。

(日本語の事をジャパニーズ語と言っているような感じですね。)

 

 

仏・西どちらでもない

 

カタルーニャという地域は、ちょうどフランスとスペインの中間に位置しています。

地理的な特徴から考えると、カタラン語は2つの言語をミックスしたように想像するかもしれません。少なくとも、僕はそのように考えていました。

なので、以前スペインのマドリッドとバレンシアに留学していた時には、「いつかフランス語が話せるようになったら、カタラン語もわかるようになるのかなー」と漠然と考えていたものです。

しかし、こうしてフランス語が話すことができるようになった今、僕がカタラン語を理解できるようになったかというと、答えはノーです。

カタラン語は、ルーツはフランス語やスペイン語と同じようにラテン語に属するので、文法などの文章構造での違いはあまり多くはない(と予想する)のですが、単語レベルで見てみると違いが多すぎて、ほとんど理解することができません。

 

例えば、「一緒に」という単語を見てみると

カステジャーノ語(標準スペイン語)- con

カタラン語 - amb

フランス語 - avec

けっこう形が違いますよね。

 

 

大学の授業でも使われる

 

スパニッシュ・アパートメントという、ヨーロッパへの留学生にとっては金字塔ともいえる映画があります。主人公のフランス人・グサヴィエが、エラスムス交換留学制度(ヨーロッパ内を中心に、ヨーロッパ内の留学の移動を自由化する制度)を利用して、パリからバルセロナに留学する物語です。この映画の中で、エラスムスでバルセロナに留学に来た生徒たちが、カタラン語ですすめられる大学の講義に抗議するシーンがあります。そう、カタルーニャではいくつかの授業はカタラン語で進められるのです(それは教授によって決めることができるのです)。スペイン語が話せるからってスペインに留学に行って、いざ授業に出てみたらスペイン語じゃなかったらびっくりですよね。

 

僕の友人の妹にも、スペイン語圏の人なのですが、バルセロナに留学するにあたって、わざわざカタラン語を勉強している人がいます。僕個人の視点では、「なんて面倒くさい…」と思ってしまうのですが、ここまで頑なに自分たちの文化を守ろうとする(あるいは復興させようとする)のがカタルーニャの現在です。

 

 

 

カタルーニャ語の使用は禁止されていた

 

これは前回の記事(南仏の方言の歴史から読み取れること┃南仏の方言の歴史は面白い! - フランシウム87)にも書いたことなのですが、20世紀にスペインに存在していたフランコ総統の元での独裁政治(1939-1975)によって、地方色のある文化活動は禁止されていたのです。

その中には、地域言語であるカタラン語の使用の禁止も含まれていました。この独裁政権中、彼らは自分たちの言葉を使いたくても使うことができなかったのです。

 

ちなみに、このフランコさんには興味深いエピソードがあります。

彼はスペイン内戦を経て、スペインの軍部の元帥、つまり当時の国のトップになったのですが、この内戦でスペインは極度に疲弊してしまったんですね。

スペイン内戦が終結したのが1937年。その後1941年に日本軍が真珠湾を奇襲し、太平洋戦争から第二次世界大戦に突入したのですが、スペインは荒廃した国内情勢を理由に、世界大戦には参加しないスタンス(中立)をとっています。世界大戦時の中立国って、スイスだけじゃないんです。

また、スペイン内戦でのフランコの勝利には、ヒトラーが一役買って出ています。内戦中に、ヒトラーはスペイン北部の小さな町を絨毯爆撃という、世界で初めて一般市民をも見境なく爆撃するという蛮行に及んだんですね。この悲惨なニュースを、遠くパリで耳にした画家のピカソは筆をとり、後に世界的に有名になる一枚の絵を描き上げます。そう、その爆撃された小さな町の名前はゲルニカです。

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この時の恩を理由に、その後の世界大戦中にヒトラーはフランコに協力を求めます。このミーティングは午前と午後で、あいだに昼食をはさんでいたそうです。別々に昼食をとって、会談に戻ったヒトラーは、そこで2時間フランコの到着を待たされることになります。なぜでしょうか。なんとフランコはこの局面でも食後のシエスタを欠かさなかったのだそう。あきれたヒトラーは、「スペインと手を組むくらいなら、奥歯を全て抜いたほうがましだ」と言い放ったそうです。真偽のほどは定かではありませんが、当時からスペイン人はこういう風に見られていたんだとわかる、おもしろいエピソードです。

 

そうそう、カタラン語をはじめとした文化人の弾圧、共和派の弾圧を、美しくも悲しい演出で作成された「蝶の舌」という素晴らしい映画があります。

フェルナンド・フェルナン・ゴメスという、早口言葉になりそうな素晴らしい役者が出ていて、それはそれは美しい作品。スペインの歴史を深く知らなくても、空気感からそれとなく当時の張りつめた空気感が感じ取れる、おすすめの一本です。

 

 

スペインに行っても何言ってるのかわからない

 

カタラン語が、フランス語でもスペイン語でもない、独自の言語であることは先に説明したとおりです。

すると、面倒なことに、標準スペイン語が話せたとしても、カタルーニャに行くとおおくの場面で自由な意思の疎通ができないという事態に陥るのです。なぜなら、彼らの中で第一言語がカタラン語であれば、最初の会話はカタラン語で始まるからです。

これは、完全に人によりけりで、例えばバルセロナで一番観光客でにぎわうランブラス通り沿いの店であれば、多くの場合は標準スペイン語で最初から応対してくれますが、そうでなければカタラン語で話されるという事は決して珍しくはないことです。

 

先日のバルセロナ訪問で、劇場でトイレの場所を聞いた時の事。こちらは最初から標準スペイン語であるカステジャーノ語で問いかけたのに、劇場の案内の人はカタラン語でトイレの場所を説明してきました。こういう時には、もういっかい「カタラン語は分からないので、カステジャーノ語で説明してもらえますか?」と言わなければならないのです。スペインにいるのに、なんだかおもしろいですよね。

また、最近では比較的観光客の多くはいるであろう飲食店においても、店員のカタラン語使用率は上がってきていると思います。

まぁ、最初っから観光客らしく英語で話しかければ英語で返してくれるんで問題ないんですけどね。僕は英語が喋れないので…(-.-)

 

 

頑なに話されるカタラン語

 

このように、カタルーニャの外側にいる私たちにとってみると、なんとも七面倒くさいなぁと思ってしまうのですが、と同時に、ナショナリズムの達成というのには多くのエネルギーが必要だな、とも考えてしまうんですね。

僕個人の考えとして、人間生きていくのにエネルギーの消費が多い環境を好むものだと思うので、彼らのカタラン語普及活動は、今後大きな動乱がない限り拡大する一方だと思うのです。

まぁ私たちカタルーニャ外の人にとっては、ほとんど学ぶ必要のない言語だからほとんど関係ないんですけどね。でも、カタルーニャ人たちの"地元愛"の深さを知るいい目盛りになるのが、このカタラン語なのです。