僕の銀座料理人時代の「印象に残っている新人」
今週のお題「印象に残っている新人」
僕の印象に残っている新人は、銀座の料理人時代
僕は今、フランスに留学していますが、その前は銀座の料亭で働いていました。
銀座といっても、料理屋さんは山ほどあるんですが、僕はその中でも良い値段でお料理を出すようなお店で働いていたんです。
銀座という町は、北から南へ、1丁目から8丁目まで分かれています。
1丁目は東京駅方面で、8丁目はサラリーマンの町・新町方面。
真ん中に当たる4丁目には銀座三越や和光があり、ここで銀座が半分に分かれています。
だいたい、有名な料亭(吉兆や久兵衛など)があるのは5~8丁目になり、ほかにも高級なクラブなどがあるので夜はとても賑やかになる地区。
逆に、1~4丁目には百貨店やファッション関連のお店が多い地区で、昼はとても賑やかな地区です。
僕が働いていたお店は、銀座2丁目にありましたので、夜は比較的落ち着いた雰囲気の環境の中、看板を出さないお店として営業をしていました。
そこに、一人の新人が入ってきました。
初仕事の翌日には、もう来なくなってしまった
彼は、当時僕より1,2歳、年下だったので、たしか20歳くらいだったと思います。
さわやかな青年といった感じで、みんな良い印象を受けていたのを覚えています。
包丁もすでに数本持っていたので、それらもすべてお店に持ってきていました。
だけど、一日で辞めてしまったのです。
他にも短期間で辞めてしまうという人はいました。
それでも、短くて1か月ぐらいはみんな働いていたので、さすがに1日で辞めてしまうということはなかったんです。
人が定着しにくい料理の世界
料理界というのは人が本当に定着しにくい。
今みたいに、雇用情勢が少しでも改善されると、料理屋さんは必死になって人員を確保しなくてはならなくなってしまいます。
「正社員」であっても雇用口が多いのが飲食業の特徴です。
僕だって、この料亭での仕事は2年しか続かなかった。
それでも、親方を除けば、気がついた時には一番の古株になっていました。
料理の仕事というのは、決して労働環境がいい仕事だとは言えません。
もしかしたら、従業員みんなハッピー!な労働環境を提供できている飲食店というのもあるかもしれないけど、僕の意見では「一流」と言われているような飲食店に限って、労働環境は良くない印象があります。
16時間たちっぱなしなんて普通でした。
9時に仕事場に行って、夜中の2時に店を出るまで、座れるのは昼食と夕食のそれぞれ10分ずつ…とか。
まぁ、これは自分の手が遅いのが原因であるとは思うんですが。
和食が無形文化遺産に登録されたが
日本料理の世界に進める人はとても限られています。
それは、自分の仕事に妄信的に邁進できる人。
もちろん、ここまでの器の人でないと、和食という文化を担えるような人物に慣れないのかもしれません。
でも、僕にはこれが、和食の世界というのはまだまだ文化を広く継承スタイルにはなっていないように思えるのです。
無形文化遺産に登録されたということは、その文化を保護・継承していく必要がある、ということになります。
僕の知る限り、日本の有名な料亭で働いているような一流の料理人の方々は、若くても年配の方でも、みんな驚くほど勉強をしていています。
でも、そのなかで文化を継承していく人はごく一部の人だけになります。
今までだったらこのスタイルでも後継者が育ったのかもしれませんが、これからはこれでは通用しないと思います。
それは、僕がいろんな料亭の人たちとネットワークを持って、同年代の人たちと話して肌でそう感じたから。
よく、自分の料理人時代の話を聞かれたりして、いくつか厳しかった仕事のエピソードを話したりします。
そうすると、「そういう厳しい仕事が残っていて安心した。やっぱり日本の文化は素晴らしい」とかいうサラリーマンがいるんですけど、正直言ってアホじゃないかと思う。
料理人だって、あなたと同じ人間です。
文化の担い手として、長時間労働をして身を粉にして必死に働いている人がいること、そして、そういう人たちが、いったいどういう生活を送っているのかということを想像することを忘れないでほしい。
だから、僕は一日で店を辞めてしまった彼のことをよく思い出すのです。
ただ飽きっぽい性格だったのかもしれないけど、一度でも日本の伝統文化を担いたいと思った青年の思いを砕いてしまったのだから。