フランシウム87

南フランスに住む日本人学生が発信するブログ。

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シリーズ・カタルーニャ┃①カタルーニャとは

先日、また演奏会のためにバルセロナへ行ってきました。

地中海都市のバルセロナへは、同じく地中海都市である僕の住んでいる南仏のモンペリエからアクセスがとてもよく、低価格で行き来ができるのです。

 

バルセロナという街は、スペインのカタルーニャという地域に位置しています。

カタルーニャ、またの名をカタロニア…名前は聞いたことがあると思うのですが、いったいカタルーニャが何なのか、という事はご存知ですか?

 

カタルーニャという地方は、その歴史・文化の独自性がとても特徴的な場所です。

また、カタルーニャの独自性を理解するという事は、スペインの内情、国という枠組みを超えた地中海都市のつながり、ひいては欧州の多様性を知るうえでとても重要なことだと考えています。

そんなカタルーニャについて、バルセロナに少なくない回数訪れ、スペインとフランスに住んだ経験を持つbantanの視点から、数回に分けてお伝えしたいと思います。

 

こんなニッチな文章だれが読むんだ…とも思いますが、カタルーニャについて何か知ってもらえれば、何か新しい発見が得られるかもしれません。お付き合いいただければと思います^^

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ユニークな建造物の多いバルセロナは、いろいろな場所で観光客の目を楽しませてくれます。

 

 

 

カタルーニャとは?

 

カタルーニャ。

日本語ではカタロニアという名前で表記されることもありましたが、現在ではもっぱらカタルーニャと言われることが多いので、ここでもカタルーニャという表記で統一します。

 

カタルーニャというのは地域の名前です。

ヨーロッパの西の端に、ちょこんと大陸から突き出した半島があります。ここをイベリア半島と呼び、ここにはスペインとポルトガルの2国があります。(ご希望であれば、アンドラ公国とジブラルタル海峡なんかも加えることができる…はず。)また、イベリア半島の付け根にはピレネー山脈がまたがっていて、ここを境に北はフランスになります。

かのナポレオンが、当時のスペイン人たちを見下した言葉として「ピレネーを越えれば、そこはアフリカだ。」なんて言ったとされていますが、ピレネーを越えると私たちが想像するスペインの"ラテン気質"が始まると考えていいと思います。

 

フランス側から見て、ピレネーを越えたすぐ南にバルセロナがあります。このバルセロナを中心とした一帯の事をカタルーニャ地方と呼びます。

 

なぜカタルーニャなのでしょうか。

それは、昔、バルセロナを中心として、南はスペインのバレンシア、北は僕の住んでいるモンペリエの少し先までをカタルーニャ辺境伯という人物が統治していたからです。そして、この地域では、スペイン語でもフランス語でもない、カタラン語という言語が使われていたんですね。カタラン語のルーツは、他の南欧の言葉と同じようにラテン語派生なので、文法をはじめとして似通ったところはたくさんあるのですが、スペイン語とフランス語話す僕からしてみると、聞いても読んでも殆ど理解できない言語です。

 

違うのは言葉だけでなく、文化面や人間性にも違いが大きく見られます。

 

まず、文化。

灼熱の太陽、フラメンコ、闘牛…これらは僕たちがスペインと聞いた時に思い浮かべるイメージだと思いますが、これらは南スペインのセビリアのような街なら的確ですが、カタルーニャだと少し景色が変わってきます。

もちろん、フラメンコはカタルーニャでも盛んでしたし、バルセロナも歴史的に優れた踊り手たちを輩出してきた町の一つなのですが、彼らにはフラメンコ以外にも南仏的な、手をつないで輪になって踊るダンスの文化もあります。フラメンコは、絶対に相手に触れることはありません。息遣いが感じられるほど互いの体を近づけても、相手に触れることはないのです。そこに情熱があるのです。

闘牛も、カタルーニャは2012年から禁止されています。これは動物愛護の観点が前面に出されていますが、その裏には「僕たちはスペインのような野蛮な牛殺しはしない」というメッセージ性が隠れていることは明白です。

 

人間性も違っていていて、バルセロナは昔、工業と労働で栄えた町。働き者たちの町なのです。

カタルーニャ出身の作曲家にイサーク・アルベニスという人物がいて、彼はスペインのいろいろな地方を題材にした「スペイン組曲」という作品をのこしています。その中の「カタルーニャ」を聞いてみましょう。

 


Albéniz, Suite Española: Cataluña, Revital Hachamoff, piano

 

どうでしょう。スペイン…にしてはちょっと陰鬱な曲調ですよね。

短調の重い足取りの、2拍子のマーチは、労働者の進む足取りを表していると言われています。

 

こんな感じで、カタルーニャというのはスペインの内部にあるのですが、文化から話される言葉まで、あらゆる面で少し特殊な地域なのです。

 

 

スペインの歴史は3つのジャンルで考える

 

スペインは、別名モザイク国家と呼ばれることがあります。

なぜモザイクなのか。

 

スペインという国は、3つの切り口から観察すると、よりシンプルに理解できると思います。

それは、宗教・地理・言語。

 

レコンキスタという言葉を聞いたがありますか?スペインはヨーロッパの中でも特にアフリカ大陸(イスラム国家)に近い国。いまでこそカトリック色の強い国で、国のいたるところで素晴らしいキリスト教のカテドラルを見ることができるのですが、その昔、8世紀から15世紀末までは、スペインはイスラム教に支配されていた国だったのです。

もともとキリスト教だった国が、一度イスラム教化され、そのごキリスト教が再度スペインを奪回する。この再度の奪回の部分をレコンキスタ(再征服)と呼ぶのです。

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歴史の教科書でこの文章だけ見れば、頭の中には根こそぎ追いやられるイスラム教徒たちをイメージしてしまいますが、実際のヒトの動きはそんな単純なものではありませんよね。実際はレコンキスタ後にスペインにとどまるイスラム教徒だっていましたし、そのほかにも少なくないユダヤ教徒などもいて、その容態はまさに小さな色の違うタイルを敷き詰めたモザイクのようなものだったのです。

 

スペインの首都・マドリッドから南に少し下がったところに、小さなトレドという街があります。この町、規模はとても小さいのですが、とってもユニークなのです。

なぜかというと、小さな町の中に、キリスト教のカテドラル、イスラム教のメスキータ、そしてユダヤ教のシナゴーグが存在しているからです。その様は、まるでイェルサレムのよう。

 

彼らは違う宗教同士でいがみ合っていたかというと、実際はそうでもなかったようで、互いの優れた学問・芸術・技術を交換し合って、優れた文化を形成した行ったようです。ぼくは、ここにスペインが太陽の沈まぬ国にまで成長した大きな要因があるのではないかと思うんですよね。

 

地理的には、これはとても複雑で、スペイン国内の諸侯の領地の取り合いで大きく変わってきましたし、他国との戦争や襲撃、またあらゆる占領によって大きく変わってきました。これもまた、モザイクのように入り組んだ様子になっています。

カタルーニャを中心として考える場合は、前に書いたカタルーニャ辺境伯領が地中海沿いに伸びて存在していたという事が需要です。

 

そして、言語。

これがとっても面白いのですが、スペイン国内には法律で制定された言語というのが複数あるのです。通常僕たちがスペイン語と言っているのは、標準スペイン語と言って、正式名称はカステジャーノ語です。他にも、北西部で話されるガリシア語(これは殆どポルトガル語です。なぜなら、ポルトガル語がガリシア語派生だから)、北部で話されるバスク語(スペインバスクとフランスバスクという分断された2つの地域で話される、ルーツ不明の謎の言語)、他にもバレンシア地方で話されるバレンシア語や、カタルーニャ地方で話されるカタラン語。そして、僕もあまり詳しくは知らないアラン語が、公的に認められた言語です。日本では、大阪弁は一つの方言ではあるけれど、一つの言語とみなされていないのに対して、スペインの複数の言語は特筆すべき点です。

この中でも、特に地元民が意識して固有の言語を話そうとするのが、バスク語とカタラン語。僕は一時バレンシアに住んでいたこともあったのですが、バレンシアでバレンシア語を話す人はまずいませんでした。理由は、なんか古臭くてかっこ悪いから。

しかし、バルセロナでは特に何も言わなければみんなカタラン語で話してきます。標準スペイン語であるカステジャーノ語で「トイレどこですか?」って聞いても、返事はカタラン語。「すみません、カタラン語を話せないので、カステジャーノ語でお願いできますか?」とお願いしなくてはいけない場面というのが、多々あります。

なぜカタルーニャの人々はカタラン語を話すのか。それは、モダンでかっこいいから。あれ、バレンシアと意見が正反対ですね。理由は、近年高まりを見せつつある、カタルーニャ地方での急激なナショナリズムの台頭でしょう。これをきっかけに、多くの若者がカタラン語ってかっこいいと思うようになってきているのです。

 

実際、僕が通っているフランスの大学にも、カタルーニャ出身の留学生の友人がいるのですが、彼女からは初日に「私はカステジャーノ語(標準スペイン語)を話さないから。よろしく。」と言われたので、フランス語でしか会話したことがありません(笑)

 

どうでしょうか。モザイク国家・スペイン。

スペインってなんだか思っていた国と違ってきませんか?

 

 

 

抑圧されていた歴史

 

カタルーニャを語るうえで忘れてならないのが、フランコ総統によるスペイン独裁政権期です。

意外なことに、スペインには最近(1975年)まで独裁政権が存在していたのです。その独裁者というのがフラシスコ・フランコという人物で、彼は1936年のスペイン内戦後から75年まで、ずっと独裁政治をしていたため、その間はスペインは民主国家ではなかったのです!

この独裁者はカタルーニャに大きな爪痕をのこしました。それは、カタルーニャのアイデンティティともいえるカタラン語の使用を完全に禁止したのです。この決まりを無視すれば投獄、悪くすれば銃殺刑です。

フランコ総統の元では、多くの文化人やナショナリストたちが処刑されています。特にセンセーショナルだったのは、純朴な詩人・ガルシア・ロルカの銃殺ではないでしょうか。

 

その圧力から解放された今、カタルーニャ地方のナショナリズムは高まる一方であると、こういう構造なんですね。これは世界史の中でも一つの良いモデルで、圧政からナショナリズムを作り上げることができる可能性が示唆されます。

 

 

カタルーニャ人としての自覚

 

こうした様々な要素が折り重なって、カタルーニャ地方の独特の空気が形成されているのです。そうでなければ、だれが百何年もかけて膨大な公費を捻出しながら奇妙奇天烈なカテドラルをバルセロナ市街のど真ん中に建てるでしょうか。

 

と、カタルーニャの簡単な説明はこれで終了。

今後はカタルーニャの言語、建築、音楽、都市について書いていこうと思っています^^